ぶなの木文庫

カテゴリ: 自然

20150107_071535台風のような雨と風だった昨日の天気がうそのような、穏やかな朝。雲の切れ間に月が見えたかと思うと、あっという間に雲は流れていき月が顔を出した。でも、まだなんだか冷え切らない湿った空気で、富士山は見えなかった。

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台風が暴れまわったあと、雨上りの空に、虹が!

雨はやんだけれど、すごい風!6階のベランダから、カラスが吹いてくる風に向かって飛んでいるので、ほとんど、ホバリンリング状態でいるところを目撃!わざわざ、そんなことして、カラスも風と遊んでるのかなと思った。

そして、雲がどんどん吹き飛んでいき、カーテンをあけるようにして富士山が見えたと思っていたら、見る間に下の方から、虹が出てきた。最初は富士山の麓から伸びてくるようにみえていたのが、だんだん細く伸びてきてアーチをつくった。

こんなに大きい虹は久しぶり。、壊れかけの携帯のカメラじゃ、きれいさが伝わらないかなあ。

でも、ご近所の友達に「虹見て!」メールをジャンジャン送った。

子どもたちは学校が休校になったので、みんなで、見て、大喜びしましたって返事がきた。

子どもたちは休校で喜んだけれど、先生は学校、休みじゃないのよね。うちの旦那は止めるのも聞かず、まだ雨風ひどい時間にバイクで学校行った。でも、子どもがいない分、気楽なんだって、落ち着いて、たまった仕事ができるって、明るい顔して出かけて行きました。

こんな、嵐の日に、家にいて、虹が見れるなんて、幸せだね。ありがたいことです。

8月24,25日で、安達太良山に登った。

いつも、丹沢や近場の山を一緒に登っている友人から、たまには一泊の登山もしようということで、本格的な登山が久しぶりの私のために、選んでくれた山が安達太良山。

去年のたんぼロッジも福島、今回の安達太良山も福島。行くならなるべく福島行きたいのでグッドチョイス。

朝6時ちょっと前の電車に乗るため、駅までは、バスが無いので、歩き。

これがきつかった。

押入れから、見つけ出した登山靴が30年前に使っていたものだから、いかにもごつい。でも、独身時代、本格的な山に登るために、大枚はたいて買った靴だから、まだぜんぜん、きれいで、はけると嬉しくなったのだ。でも、その考えは甘かった。平らなコンクリートの道を30分くらい、急ぎ足で歩いたので、厚手の靴下をはいてても、もう足が痛い。

いやな予感はしたが、気にせず歩いた。

横浜から、上野に出て、新幹線で郡山へ、そこから、岳温泉が出してくれている送迎バスで、奥岳登山口まで。登り始めたのは10時半くらい。

最初は調子よかった。渓流沿いの美しい道を木々の緑を眺めながら歩くのは心楽しいものだった。この自然遊歩道はよく整備されていて、とても歩きやすかった。

川とさよならして森林地帯に入るとクマよけに鈴を出してつけた。楓などの紅葉する木がたくさんあったので、秋に来たら、さぞきれいだろうなあと、来たばかりなのに、次回また来ることを考える。

ここは本当に道がよく整備されていて楽だった。

途中、アサギマダラという美しい蝶が前に後ろに、つがいでお供をする。(私をみて!きれいでしょ!)と挑発するように近くをひらひらする。そのうち見えなくなっては、また忽然と道の向こうに姿を現す。道を教えてくれているようだ。

また、緑と黒の美しいしましまのギンヤンマもにも出会う。ギンヤンマは私のだいすきなとんぼ。捕まえたいと何度もトライするけれども、リュックをしょっているし靴が靴なものだから、すばやく動けない。

でも、ギンヤンマは通るところを決めている、なので、同じところに立っていた。

そうしたら、案の定ギンヤンマはまた飛んできた、そして、なんと、私の目の前20センチくらいのところでホバリングして、5秒くらい、にらめっこしたのだ。私が笑ってしまって負けた。あの5秒間、ギンヤンマのやつ何考えてたんだろう?

しばらくして硫黄のにおいがしてくる。どこからくるのかなと歩き続けると、山小屋の黒金小屋が見えてきた。たいていの山小屋は頂上まで、10分か15分くらいのところにあるのだが、この黒金小屋は中腹くらいにある。見えてから、なかなか着かなくて、へとへとになったが、やっと小屋に到着。

でも、この山小屋の魅力は山小屋なのに温泉があること。山小屋だから、板で四角く仕切ってあるだけのひなびた温泉だけど、湯の花がいっぱいの乳白色のお湯は本当にいい湯だった。特に私は、さっそく足に豆を作ってしまったので、よーく浸った。次の日、足がなんとか持ったのはあの温泉のおかげだとおもう。

小屋につくと、まるめがねで髪をポニーテールにした年齢不詳のおじさんがむかえてくれた。このご主人、髪がすくなくて、ホントに馬の尻尾みたいで、絶えずダジャレを言っているのだが抑揚がないので、すぐに意味がつかめず、笑うポイントを外してしまう。要するにへんなおじさん。でも、おもしろい。

すぐに私の靴に目をつけて、「すごい靴はいてるね、ちょっと見せて」と手に取って矯めつ眇めつながめて、「よく、こんなにいい状態でとっておいたね。」と感心してくれた。でも、私は周りにいる、登山者の誰一人として私のような登山靴を履いてる人がいなかったのでちょっと、恥ずかしかった。

恥ずかしかったけれど、次の日頂上を目指して歩き始めると、木は無くなり、石がごろごろしたような道がつづくと、この靴のありがたさがわかった。靴底の衝撃が緩和されて、らくなのだ。

山小屋の夕食時間は病院より早い。5時に夕食のカレーライス。お代わり自由だったけれど、本当にカレーライスだけ!これで、夕食料金は1600円、だ。次回からは郡山で、お弁当買って朝食だけにしたほうがいいかもね、と話した。

寝る前に2度目の温泉に入って、就寝時間は7時!なかなか眠れないかなと思ったけれど、夜中に起きることもなく、熟睡。4時に目が覚めて5時ころまで、窓の外を見ていた。

朝焼けが空に広がっていくのを寝床で見ているのは楽しかった。初め曇っているのかなと思ったが、雲は多いもののきれいな青空が広がった。

5時半朝食。7時出発。頂上まで、1時間30分、私たちはゆっくり景色を見ながら行く予定だから2時間とみて、出発した。

黒金山荘からは木はなくなり、見晴らしの良い登山道を黙々と歩く。足元に野生のブルーベリーがなっていて、何粒かとって食べる。まだ熟して無いようでほどほどの味。

「サリーのこけももつみ」を思い出す。クマはでないでよぉとつぶやきながら頂上を目指す。途中立ち止まって、振り返ると、郡山の町が襟を重ねたような山々の向こうに広がっていた。

Pa0_0016一歩一歩ゆっくりと歩いてきたのに、もうこんなに高度を稼いでいるなんて、地道にゆっくりでも、歩みを止めなければ、どんなに長い道のりも必ず到着する。

歩くということのすごさをしみじみ感じる。

この先の景色も撮りたいと思っていたのだが、残念ながら電池切れ。

カメラ持ってくるのを忘れたのを悔やむ。でも心のカメラにたくさん収めた。

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Pa0_0003夕方、お買いものの途中、近所の山椒の木が大きく茂っていたので、いるな、と思って、探していたら、いました。孵化したてのアゲハの幼虫が(下の葉の上、黒い糞のようなもの)若葉の上に、その対の葉には卵が、まだ黄色いからこれから孵化する卵だ。

持って帰りたかったけど、これから、買い物だったから、安全に運ぶのは無理なので、あきらめた。ちゃんと、孵化したての幼虫が食べやすいように、柔らかい若葉の上に卵を産み付けてた。ちゃんとわかるんだなあ。

子どもらが小さかった時は、ひと夏で、15匹くらいのアゲハを孵した。

いろんな、ドラマがあったなあ

幼虫がたくさんになると、虫かごでは無理だから、衣装ケースにいれて飼った。

ビンに餌にするみかんの葉を、生けておいたのだが、みかんの枝が大きくてビンが倒れてしまうので、ガムテープで隅に固定したんだけど、重みでだんだんはがれてきて、ある時、おばかな幼虫がガムテープのべとべとしたところにくっついてしまって、もがいていた。

こりゃ大変とはがそうとすると、べったり、くっついてしまってなかなかはがれない。無理にはがそうとすると、痛そうにいやいやをするのだ、仕方がないから、スポイトで少しずつ接着面に水をたらし、めん棒で少しづつ、少しづつはがしていった。子どもたちは泣きながら、「がんばれ!がんばれ!」と励まし、私はあせびっしょりで、やっとの思いではがし終えた、でも、なんだか元気なくしぼんだ感じで、やな予感がした。予感は的中し、次の日死んでいた。

さなぎになってからも、苦難はつづき、ちゃんと蝶になれるのは3分の2くらい、あとは、寄生蜂にやられて、さなぎの中がすかすかになってしまう。

たくさん、幼虫を飼ってわかったのだが、幼虫にも性格があるってこと、気が強いのは、まだ触ってもいないのに、そばに来ただけで、オレンジ色の角を出してくさい匂いをまき散らす。気が弱いのは指でつんつんしても、いやいやってするだけでなかなか角は出さない。でもそういう気が弱いのは、いつも食べてるところを強いやつに占領されてどんどん、固い葉っぱの方に追いやられるから同じ時期に生まれても体が大きくならないうちに脱皮しなきゃならない。

だから、ときどきそういう気の弱いのをいい場所に移動させてやるのだが、折角、依怙贔屓してやってんのに、気が付くと、強いのにおいだされている。

うちで蝶になった子は気立てがいい。私が蝶の前に人差し指を出すと、ちょこんと止まるのだ。かわいいったらありゃしない。そうやって、羽に触れずにかごから出してやり、外の世界へ送り出した。

でも、もう一緒にそれを楽しむ子どもはいないんだなあ。ちょっとさみしいな。

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