ぶなの木文庫

カテゴリ: 自分大学

この夏休みに、教員免許更新講習を受けた。これは、2009年から始まった制度で、こんな制度があるのは日本だけなんだって。3万円も自腹で出さなくちゃならないし、面白そうじゃないし、受けなくてもいいかなあと思っていたけれど、あんなに苦労して取ったのに、なんか悔しいなと思ったので、受けることにした。


ネットでしか受け付けていないので、申し込み方を理解するのにもたもたしていたら、
いい日にちの面白そうな内容の講義はすぐに埋まってしまった。結局、2つの大学で講習を受ける羽目になってしまった。

私立の大学と、某国立大学。

全然期待してなかったのに、選択科目はとても面白かった。直接教育にすぐ役立つという内容ではなかったけれど、視野が広がり、心が豊かになる内容だった。
でも、国立大で受けた、必修の「最近の教育事情」というのが、なんだかなあ~な内容だった。現場で苦労している教員には何の役にも立たなかっただろうなと思う。私は眠らないように目を開けているだけで大変だった。
教育は人間を扱う仕事だ。だから、教育関係の法律がいつ決まったとか、新しい教育のやり方の名前がOOO教育だとか、(そういうことも知っておかなきゃだめですけど。)それだけで、終わっちゃっていいのかってこと。
ひどかったのは、学校でカウンセラーもやってるっていうセンセーの話。
いろんな子どものケースを出してきて話してくれたのだが、その中の1年生のT君の話。
「T君は授業中もじっとしてなくて、自分の思い通りにならないと教室を飛び出してしまう子で担任も手を焼いていた。SCの所にはちょくちょく来てくれるのだが、腕を噛むので、あざだらけになってしまった。でも、我慢して対応していたと、でもこの学校の担当が終わるころに、もうほかに行かなければならないことを話し、良い子になるようこんこんと話して聞かせたら、その日は腕を噛まないで、よく話を聞いてくれた。そして他の学校に行ってしまったので、その子が今どうしてるかは知らない。」と。
私は「はあ~?」と思った。それでおわり?なんで、電話してその後、その子がどうしたか聞かないの?って思った。
もう一人の先生は、質問は?と聞いておいて、誰かが現場の具体的な悩みを質問したら、「それは、現場の先生方の方がよくご存じでしょう?私は理論だけだから、現場の事はよく知らないんです。」って。
これも、「はあ~?!」ですよ。なんじゃこりゃ!
心が何にも伝わらなかったのがとても残念だった。
感じたのは哲学不在ってこと。
大学の教員養成の現場は採用試験対策を授けるだけじゃないはず!
更新講習事態が意味ないとは思いませんが、もう少しやり方を考えた方がいいのかもしれないな。ていうか、大学の教員養成の内容をもっと考えた方がいいかもしれないと思った。
そして教員養成の中に、「子どもと本」の内容をぜひ入れてもらいたいものだ。
ああ、それにしても、猛暑の中、
都合6日間、朝9時から5時まで、ずっと授業受けるのはなかなかハードだった。

Img_20150531_42436

25日、ナルニアで行われたエドワード・アーディゾーニに関する講演会で、吉田新一先生の話を聞いてきました。たくさんの資料を見せていただき、興味深いお話をたくさん聞きました。頂いた資料の中に、オンリー・コネクトⅢに「絵本の創造」というアーディゾーニの文章があるから、できたら、全文読んでみてください。とあり、さっそく、アマゾンで購入(今は古本しかない)し読んでみた。すごくinteresting!

アーディゾーニの絵本にはよく、吹き出しがついているけれど、そのわけとか、子どもにとっての優れた絵本の条件などが、書かれてあって、その内容が、すごくうなづけるのだ。
絵本の絵について、「物語を明確に語り、納得のいくように登場人物を写し出し、微妙な情感を伝える絵を描くのは難しいことです。」
「見かけばかりの明るい色さえつかってもらえば、幼い子ども向きの本の仕事は、アマチュアあるいは経験の浅い、画家で充分だという考え方があります。例外はあるかもしれませんが、私はこの考え方はまちがっていると思います。幼い子どもたちには、可能な限り、最善の絵を与えられるべきです。」とあり、また絵本の文章については
「物語を限られた少ないことばで語り、しかも、声に出して読みやすく、耳に快いひびきを与えなければならない。」「ページの終わりごとに、文章は問いかけ、あるいは、サスペンスのある調子で巧まずして中断されなければならない。」
そして、その内容、題材については
「子どもの読書の分野では、私たちは、たぶん、子どもたちを、実際の人生に存在する困難な事実から遮蔽しすぎているのではないでしょうか。悲しみや失敗や貧しさや、そしてたぶん死でさえも、詩的にとりあつかえば、子どもたちを傷つけることなしに、必ずやすべてとりあげられると思うのですが。考えてみれば、子どもの本は、ある意味で、子どもたちの行手にある人生の紹介者ではありませんか。もし、これらの本の中に困難な世界のことが何も触れられていなければ、私たちは果たして子どもたちに対して公平にふるまっていることになるのでしょうか。」とつづくのである。このあと、わらべ歌についての慧眼な文章も納得です。
その他、ナット・ヘントフの「かいじゅうたちにかこまれて」というセンダックについての興味深い文章もとてもおもしろかった。
他にも、デュボアザン、ポター、アーサー・ランサムなどについての文章も面白そうだ。読むのがたのしみ!。この本のことを知ることが出来ただけでも収穫だった。
あと、まだ、「天路歴程」についてや、「孔雀のパイ」についての話など、じっくり、と読み直し再考したい。

今回、ストーリーテリングでもなく、わらべうたでもなく、ほんとにお話を聞く会でした。

何の話かっていうと、「瀬田貞二先生の思い出」話です。
あるところで、石川先生が瀬田貞二先生の教え子だということを知り、あら~じゃお話ききたいなあ、とダメもとで、勇気出してお願いしたら、「たいした話はできないけど」、と快くOKしてくださったのでした。しかも、わざわざ、ルピナス文庫に足を運んでくださり、ざっくばらんな感じで、お話してくださいました。途中私が質問したり、一緒に聞いていたメンバーからも質問があったり、瀬田先生の話だけじゃなく、子どもの本の周りのあれこれ、悩みなども話せて、とてもリラックスした会でした。

たまには、一方通行の話じゃなく、こういうやり取りがある会もいいなあ、でも、リラックスしすぎて、わだす、石川先生に「あのさ、」とか言っちゃって、あわてました。あわてて謝る私に、にこにこしながら「いいのよ~」と優しいお言葉。本当に修行が足りず、申し訳ない事でした。

でもでも、お話はおもしろかった!瀬田先生のお人柄のわかるエピソードをたくさん、お話してくださいました。特に、ユーモアのセンスが抜群だなあと感じるエピソードには皆、大爆笑。
それから、大学の授業で瀬田先生が、これは読んでおきなさいよと、勧められた児童書をたくさん教えていただきました。

ウォルター・デ・ラ・メアの「サル王子の冒険」(飯沢匡/訳)は現在「ムルガーのはるかな旅」(脇明子/訳)という題名で出ていますが、持っていただけで読んでませんでした。でも、今は新刊は出てないみたい。古本だけみたいです。
訳者あとがきを読んでみたら
「最初はデ・ラ・メア自身の4人の子どもたちのために書きはじめられたこの物語は、手に汗を握る冒険のおもしろさもさることながら、詩人ならではの繊細な言葉の美しさ、豊かな想像力によって描きだされた世界の壮大さによって、1937年にトールキンの『ホビットの冒険』が出版されるまではこれに匹敵するものはなかった、といわれるほどの高い評価を得ました。」
とあって、(うわあ~読みたい)と思いました。
そして、デ・ラ・メアは精妙な言葉のわざをつくし、自分で作った造語も多いので、わからない名前もいっぱいでてくるけれど、
「わからなくてもいいことにして、響きの楽しさを味わいながら先へ先へと読み進んでいけば、いつしか、ついぞ見たことのない不思議な世界が目の前にひらけてくるのがおわかりになると思います。それは、ふだん使いなれた言葉だけではけっしてたどりつくことのできない世界ーーー見えないものを見る特別な想像力と、それをとらえる言葉の魔術なしには、とうてい描きだすことのできない世界なのです。」
とあって、ますます読みたい気分が盛り上がってきました。このことは、私が石川先生に質問したことと関連しているような気がしました。それは

「瀬田先生の『幼い子の文学』や『絵本論』には聞いたこともない言葉や辞書引いても出てこない言葉、瀬田先生独特の言い回しが出てくる。それはすごく
言い得て妙という言葉が多いのだけれども、読み方がわからず困った、出版社にどうしてルビふってくれないのかと文句いいたいくらい」といったら、

「子どもでも、わからないことばだらけなんだけれども、国語教育で大切なことはわからない言葉に出会うことだそう。わからない言葉が想像力をかきたて、成長をうながすんじゃないだろうか、というようなことをおっしゃったんだけれども、同じようなことが、このあとがきに書いてあっておどろきました。

ずっと前に買ったけど、ずうっと読まずにほこりをかぶっていた本がにわかに、光り輝きだして私の目の前にある。こういうことは今まで何度も経験してきましたが、何度経験してもわくわくします。

あと、石川先生が名前が思い出せなかった本、これじゃないかなと思います。
ジョン・メイスフィールドの「喜びの箱」石井桃子/訳です。
これも、買ったっきりまだ読んでない本です。この本の前編の「夜中出あるくものたち」も持っていますがまだ読んでいません。これも以前友人が「すてきなのよ~」とすすめていたような気がします。
あと瀬田貞二作の絵本「きょうはなんのひ」(福音館)の中にでてくる家は瀬田先生のおうちがモデルで、そのまんまだそうです。そして瀬田文庫はまだ娘さんが引き継いでやってらして、奥様は今もご健在だそうです。浦和にあるそうですが行ってみたいわあ。お宝本がいっぱいありそう。
ということで、絵本論の大先生が身近に思えた一日でした。
続きを読む

Pa0_0006サマースノーがお店の正面に咲き乱れる美しい川越の絵本カフェ「イングリッシュブルーベル」で

Pa0_0008

25日の土曜日、ハーブ研究家,北野佐久子さんの「児童文学の中のハーブとお菓子~ピーター・ラビットを中心に」と題した講演会があった。

ハーブが物語の中でどう描かれているか、イギリス人にしかわからない、ハーブの描かれ方があるということ。描かれているハーブにはちゃんとわけがある。

厚さ10センチはありそうな大きな本

Pa0_0001

ジェラートのハーバル「THE HERBAL]これはイギリスではじめて出た植物の本、 1557年に出版されたハーブ辞典のような、この本には、ハーブの種類や効用だけでなく、それにまつわる話が書かれてあって、シェイクスピアもウィリアム・モリスもポターも愛用していたとのこと。

アヒルのジマイマのお話に出てくる、ジギタリスの花は、フォックスグローブ、きつねのてぶくろともいわれているが、それはジギタリスの筒状の花を爪に履いて音を立てずに歩くためだそうだ。

以前、「金のがちょうの本」にでてくる3びきの子ブタ」の挿絵でお母さんブタが子どもを見送る場面のところに咲いている花は実際にこの地方に咲いている花が描かれている、と聞いたことがあったが、その時はそれがなんなの?という感じだったが、今回、その花を描くことで、季節や場所がわかるのだということが分かった。

その他にも、湖水地方のおいしいお菓子の話や、キューガーデンのイングリッシュブルーベルの花園などを見せてもらい、イギリスに行きたい気持ちが高まった・

Pa0_000321日は、子どもの通っていた幼稚園で、子どと本についての、講演会をしてきました。

写真のお花は、その時いただいたもの。いや~こんな素敵な花かご、今まで、もらったこと

ないです。私が好きそうな花を選んで作ってもらったそうな。こう見えても、かわいいもん好

きの私の嗜好をよく知ってらっしゃる!、みなさまに感謝です。

久々に、幼稚園まで、歩いて行きました。懐かしい忍者森(ただの雑木林の道なんです

が、子どもたちがこう呼んでいた)、いつもお茶休憩した階段、タケノコが時々顔を出してい

た、坂道。ここはアスファルトになってました。16年たったなんて、信じられない。そこここ

に、あの時の小さかった子どもたちが、ちょこちょこ歩いてました。

幼稚園につくと、副園長(園長先生の娘さん)が待っていてくれて、森を案内してくれまし

た。この幼稚園は、園内にかなり広い森や、畑や、ヤギ舎などがあり、子どもたちは、そこ

で、のびのびと遊んでいたのです。でも、時代でしょうね、ターザンロープは、危ないからと

撤去され、木の根元は柵で守られ、なんだか小奇麗になっていて、昔のジャングルっぽさ

はなくなっていました。

でも、そこにいると、ホッとする、感じは全然、変わってなくて、素敵なところだなあ、と改め

て思い、ここを守るために、現実的な煩わしい対応を引き受けている副園長さんに頭が下

がる思いでした。

冬だから、木から葉が落ちているせいで、富士山が大きく見えて、下をみると、大きな霜柱

が、お日様の光をうけて、ダイヤモンドを散らしたようにキラキラしていました。

続きを読む

このページのトップヘ