去年の10月から12月まで2か月間、小学校で非常勤の先生をやりました。
何せ、25年振りの教壇だから、どうかなあと思いましたが、おばさんになって肝っ玉が太くなったのか、大変だったけれど、楽しかった、というのが実感で、最後の挨拶の時も、「楽苦しい時間でした。」と感想を述べました。
国語と、図工とどっちがいいですか?と聞かれ「今の単元は何ですか?」と聞いたら「ちいちゃんのかげおくり、です。」とのこと。即決で、「図工にします」と言いました。まだ「ごんぎつね」とか「もちもちの木」が教材になっているようです。
いつも不思議に思うのだけれど、どうして教科書に採用される物語はセンチメンタルなものばかりなんだろう?子どもはセンチメンタルは嫌いなのに。
このことを息子に話したら、「お母さんのその対応は、ちょっと敏感すぎネ?あくまでも教科書に載ってるのは教材なんだよ。そう割り切ればよくない?」と。「でも、子どもの文学として、たとへば『ごんぎつね』なんか最後死んじゃうんだよ。子どもの文学は、人生を肯定的に表現したものが望ましいと思うけどね。それに『泣いた赤おに』なんか、親友の不幸の上に自分の幸せを築いちゃう話だよ。文体もぺったらぺったらしてて、情景が頭に浮かび難いし」というと
「それは、そうだけど、おれの小学校の時の先生は『泣いた赤おに』を教材にして賛成派と反対派に分けて討論させたよ。おれは、あの話大っ嫌いだから、ばんばん批判の意見言った。嫌いな子の方が多かった。で、最終的に友達を犠牲にして一方が幸せになるのは、本当の友情じゃない!って結論になったと思ったなあ、先生もその意見と同じって言ってた。あれはすごく白熱した議論だった。そういう意味ではみんなからあんなにたくさん意見を出させる教材だったってわけ」
という息子の話を聞いて
「が~ん!」と頭撃たれた気になった。
その息子の担任の先生、すごいと思った。指導書通りの授業じゃなかったけれど、その教材使って人生の真実を子どもから導き出してる!
まいったなあ、と思った。そのこと、その時に知りたかったなあ、と思ったけど、大人になったからこそ、こんな風に言葉化できたんだと思う。
それで、あ、もう時間ないや。続きはまた、後で。